HAPPY-Medi・・・糖尿病な私と医療のハザマ

幸せな医療?                               ~Happy mediume~どちらかに偏らず程よいこと                    

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気持ちのベクトル

先日、「網膜症」の宣告(と言うと少し大袈裟ですが)を受けてしまった私。

一時的な出血かもしれないが
やはり(と言うか当然)高血糖の影響は、静かに、そしてじわじわと
体を蝕んでいるのだなぁ、と思う。

入院時の検査では、動脈硬化を疑う結果だったが
「動脈硬化が起こっています」と言われるよりも(30代だけど)
「単純網膜症」とは言え「眼底出血」と言う事実を突きつけられる方が
そのダメージは大きい気がします。

と言うのはきっと、その先が「失明」につながるからでは、と思う。
(動脈硬化だって、心筋梗塞や脳梗塞が待っているのだけど)

どの合併症が良いか?
(まぁ良い訳じゃないし、不毛な話だが)
まだ実体験してない現在の、ぼんやりとした考えでは
私は、「失明」が一番恐怖かもしれない。
(実際に他の重篤な合併症が出れば、考えは変わるだろうが)

その恐怖から「網膜症」は今まであまり考えないようにしていた。避けていた。
合併症についての記事なども
「網膜症」については読み飛ばしていた感がある。

でも、今回の事で「もしかしたら将来失明するかもしれない・・・」
と実感し、否応も無く考えてしまう訳で。

今、自分が見えている視覚情報が無くなったとしたら・・・

そう思うと、何気ない風景でも「目に焼き付けておこう」と
かけがえの無いものに思えてしまう。

視覚が無くなっても「聴覚」「触覚」「嗅覚」などの情報から
鮮やかな画像が、頭の中で再現できるように。
今のうちに、見ておけるものは見ておくべきなのか、と。

例えば失明しても音楽は聴けるし、楽器は弾き続けられるだろう(楽器やっててよかった)。
しかし、絵は描けないし、見ることは出来ない。
他にも視覚が必要なアクティビティー(登山、ダイビングなど)は困難になる。

それ以前に、日常生活や仕事はどうするよ??って
それが一番問題です
(素朴に、血糖測定とかちゅーしゃとかどうするんだろう・・・)

将来、治療法が発達して失明は防げるかもしれないが、それは未知。
とにかく、目が見えなくなった時に出来ない事を
今のうちにやっておいた方がいいのかなぁ、と思う。

そして、こういった風に事前に心の準備が出来る分
突然事故か何かで視力を失うよりはいいのだろうか…

そう考えている、いやに冷静で前向きな自分がいる。
しかし、この前向きさはどうなのだろうか?
いや、これが果たしてこれが前向きなのか、分からなくなる。

で、思うのだ。

人の感情の前向きと後向き。
向きは「ベクトル」で、普通のイメージだと逆方向をむいている
直線だ(イメージ1)。

しかし、それは数学上の話であって
実は人の心のベクトルは、円(サークル)となって
つながっているのではないか、と(イメージ2)。

すなわち、前向きすぎても実はマイナスだったり
後向き過ぎると、今度は逆にプラスに転じるのではないだろうか。

ベクトル横2

そう考えると、私のこの気持ちは一体どこにあるのか?
ぐるぐると回って行ったり来たり、いつも同じ方向だけに向いてけない。
前に向かっている様で、気づいたら後退していた、みたいな(苦笑)。

しかし、それが人間“らしい”のかもしれない。
(なーんて、ちょっと気取ってみました)

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