HAPPY-Medi・・・糖尿病な私と医療のハザマ

幸せな医療?                               ~Happy mediume~どちらかに偏らず程よいこと                    

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西洋医学の功罪-1

以下、私の独断による私見です。
ちょっと抽象的かもしれませんが
文章の最後にはすべて「~かもしれない」と付けて下さい(笑)。

近代西洋医学は
前近代的な「肉体」と「精神」が渾然一体していた人間と言う存在を
「肉体」のみを取り出し、それを「モノ」として認識し
それを客観的に分析する事で発展してきた。

従って治療の対象は「精神」を取り除いた「モノ」(=物質)であり
それは個別化ではなく、一般化への道であった。
そして「悪いモノは取り除くべし」と言う発想は
手術や薬の投与で表される様に、近代医学の要となった。

この事により、人類は多大な恩恵を受けたであろう。
しかしながら、こう言った歴史の流れは
「病気に打ち勝ち、治す事ができる(克服できる)」
「必ず原因が分かり、薬を飲めば治る」などという幻想を定着させ
医療行為を行う医者は「病気を治す、ミラクルで不可侵な存在」
となってしまったのではないだろうか。

しかしながら現在、病気の制圧とは程遠い。
急性疾患による死者は減少したかもしれないが
逆説的に慢性疾患の患者が増加している。

にもかかわらず、「医者-患者関係」は
一昔前の急性期疾患中心のモデルを
まだまだ引きずっているのではないか。

死に直結する状態であれば、
医者に託さなければどうしようもない。

しかし、慢性疾患の場合は急性期と違い
目の前に「死」=物質的な変化が迫っている訳ではない。
「死ぬまでの経過」が治療の対象となる訳である。

では、患者側はその経過を医者にすべて任せるのか?
また、医者は西洋医学にのっとって「モノ」を見るだけで慢性疾患を克服できるのか?

「先生が治してくれる」
「私(医者)が治すんだ」

こう言った発想は、もう今の時代にはそぐわないと思うのだ。
近代医学の幕開けと共に置き去りにしてしまった
「精神」~こころと言うものを取り戻し
肉体と精神を併せ持った「人間」として、両者は対峙すべきではないだろうか。
(決して西洋医学を否定している訳ではありません)

*この生意気なシリーズはまだ数回ある予定

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